project03
東北震災復興けて

JFEグループの総合力を
最大限に生かしたプロジェクト

MEMBER

事務系
宗澤宏樹
宗澤 宏樹
東北支社
1994年入社
事務系
若山祥生
若山 祥生
東北支社
1992年入社
技術系
元木卓也
元木 卓也
建材開発部 土木技術室
1993年入社
技術系
芥川博昭
芥川 博昭
東北支社
1993年入社

Prologue

2011年3月11日金曜日、14時46分18秒に発生した東日本大震災は、国内観測において史上最大規模の地震だった。震源地は岩手県三陸沖・北緯38度6.2分・東経142度51.6分・深さ24キロメートル。発生した巨大津波は、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的被害をもたらした。津波が、街を、暮らしを飲み込んでいく様に、誰もが、自然の猛威を前に為す術をもたない人間の「弱さ」を思い知ることとなった。

JFEスチールは、この未曽有の災害直後から素早く動いた。すぐさま「全社対策本部」を設置し、震災発生2時間後にはテレビ会議で主要事業所のすべてを結び、被災状況の早期把握に取りかかっていた。1995年に発生した阪神淡路大震災での教訓をうけ、全社規模での危機管理・地震災害対応に取り組んだ成果だった。

「JFEスチールに何ができるのか」「JFEスチールは何をするべきか」震災復興で最初に動き出したのは「土木分野」だった。地震の揺れそのものによる被害はもちろん、津波による河川・港湾の被害は甚大だった。3月11日震災発生当日夕刻、本社・建材営業部 土木建材室に集まった関係者を前に、上司はこう切り出した。「現地の設計事務所やゼネコンをまわって、土木に関わる人が何に困っているか情報を集めよう」と。当時の東北支社で土木分野を担当していたのは、たった一人だった。「1人では、増大する需要に対応しきれなくなるはずだ。東北を助けに行こう」。

3月13日日曜日、建材営業部内で全体会議が開かれる。「翌日の3月14日月曜日には応援部隊の『第一陣』を出発させる。今ここで誰を派遣するかは決められない。過酷な状況が予想されるので、派遣期間は様子を見て決める。しかし、全員が東北に行く準備をして出社するように」という通達が下った。部員の誰もが、報道などで繰り返し流される津波の映像を目にしてきた。異論はなかった。皆、覚悟を決めた。

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事務系 SIDE STORY
震災発生後4日目に仙台入り

応援部隊「第一陣」に選ばれたのは、2名。その1人が元木 卓也だった。震災当時は、土木技術部で顧客への技術サポートを担っていた。3月14日月曜日、東北支社がある宮城県仙台市への鉄道やバスなどの公共交通手段は閉ざされていた。ワンボックス型タクシーを手配し、関越自動車道で新潟に向かう。その後一般道で仙台へというルートを考えた。19時に東京を出発。日付が変わる頃、新潟に着いた。仙台市中心部に着いたのは、3月15日火曜日の早朝だった。

翌16日からは早速、現地調査とともに、さまざまな企業をまわった。設計コンサルティング会社、ゼネコン、行政機関を可能な限り訪問した。震災発生後5日目、訪問を受ける側も混乱の最中にある。被災のお見舞いとともに来意を告げ、名刺を交換することが限界だった。訪問の合間を縫って、事務所機能の復旧にも取り組んだ。仙台市内中心部は、震災発生3日後には電気も通信機能も回復したが、被災した東北支社の仮事務所には、LANケーブルが通っていない。電気工事業者は手配できる状況でなく、自ら施工して数フロア上にあったグループ会社からケーブルを引き込んだ。その甲斐あって事務所機能は徐々に回復してきたが、一番被害が大きいと思われる港は、津波による被害で道路が分断されていた。自分たちの最重要任務である状況の把握ができない…。ジレンマを抱えながら、元木たち「第一陣」の「任期」は10日で終わった。しかし、「第一陣」は、東北地方に小さな種を蒔いていた。「JFEスチールが来た」という事実は、被災地の今後を見据えていた設計コンサルタント、ゼネコン、行政機関の人々の印象に残り、後の営業活動で芽を出す。