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海軍は鑑艇と人員の増加に伴い、いよいよ水量の欠乏を来たし、ことに艦隊を長く軍港に停泊させるためには、水道の一大拡張工事を推敲しなければならなくなり、ついに神奈川県愛甲郡中津川渓流を導き、同郡愛川村に沈澱地を作り、横須賀市内逸見町に浄水場を設け、いわゆる海軍水道の完成を見ました。
横須賀市水道局によれば、横須賀水道管路は旧海軍が軍港・横須賀などに給水するために敷設したもので、管路の下には2本の水道管が埋設されていました。1本は愛川町半原の中津川近くから同市までの約53kmに及ぶ半原系統、もう1本は海老名市中河内の相模川近くから同市までの約29kmの
有馬系統です。2本は藤沢市葛原から並行して走り、同市柄沢から逗子市までは再度分かれて横須賀に向かっています。
2本の管は、市民が一日に使う水の約30%に当たる6.5トン前後を供給しています。半原系統は1921年(大正10年)、有馬系統は1945年(昭和20年)に埋設されました。一度も掘り返された記録はなく、半原系統は67年間も「現役」を保っているということです。
「横須賀水道管路」が、旧海軍によって敷設されたことを示す支柱が平成9年2月に藤沢市で見つかっています。支柱が見つかったのは藤沢市弥勒寺周辺で、「海軍用地」と刻まれた約15センチ角、高さ30センチの石製支柱で、その近くには「海」と刻まれた同型の支柱が8本ほど、また、西富周辺では二重の波形の下に「海」と刻まれた支柱が3本ほど見つかりました。
(朝日新聞朝刊 1997.2.14より)
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